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レポート

Imja Tse and Ama Dablam

Imja Tse and Ama Dablam

「あのなぁ、アマダブラムいかへん?」
「・・へ?」
大阪弁ではありませんでしたが、なんだかUSJへでも行くような軽いタッチのお誘いがきっかけで、僕の初めての海外山行は始まりました。
今まで、海外のお山に登るなんてアタマの片隅にもなかったわけで、ましてやヒマラヤとなると自分には縁がないと思っていた世界。なのでアマダブラムという山の名前も当然知らず、まずはスマホに向かって「シリ!アマダブラム!」と叫ぶことから始めました。

アマダブラムをネットで調べてみると、このお山がとても美しい姿で、人気があることがわかりました。有名だし。
同時に、技術的にはむずかしいお山であることもわかり、はたして自分に登れるのかなぁ、と不安を覚えたことも事実です。
しかし、エージェントさんのアドバイスに耳を傾け、人さまの山行などを調べているうちに、登頂の可能性よりも先にヒマラヤ山行の魅力を大いに感じてしまい、とにかく、ヒマラヤの旅をしようということに決めたのでした。

そんなわけで突然の長旅(約30日間!今まで4泊5日の山行が最長)をしてきたのですが、長旅をそのまま長い文章にするのは苦手だし、かといって簡潔にまとめるのはさらに苦手なので、このレポートは、イムジャツェ(Imja Tse)とアマダブラム(Ama Dablam)の登山に絞って書きたいと思います。

イムジャツェ

2022年10月7日、高度順応を目的として、イムジャツェ(Imja Tse)というお山に登りました。
イムジャツェは、サガルマータ国立公園の東の奥、ローツェ(標高8,516m)から南に延びる尾根にあるピークでして、標高は6,180mのお山です。
ローツェ氷河に浮かんだ島のような姿により、アイランドピークとも呼ばれています。
曇ってて麓からは見えなかったけど。

10月5日、エベレスト街道にあるディンボチェ(標高4,410m)からベースキャンプへの足がかりとなるチュクン(標高4,730m)に入り、翌日ベースキャンプを目指しました。

翌10月6日は曇り。時折雨もぱらつく天気。
早朝チュクンのロッジを出発して約3時間歩き、イムジャツェベースキャンプに到着です。一日ここで停滞しました。

ベースキャンプのすぐ脇にはイムジャ湖があります。イムジャ湖にはローツェ氷河が押し寄せ、湖の周りの山肌を削っていて、四六時中崩落の音が聞こえてました。
自分が立っている湖の淵の崖も来年には崩れてなくなるだろうとのことでした。おーこわ。
モンスーンはまだ完全には明けきっておらず、時折降雨もある曇りがちな日が続いています。
登山出発は日付が変わる夜中です。天気が心配。

10月7日午前1時、出発前に食事をとりました。シェルパのコックさんが、日本のお米でおかゆを作ってくれたので、とても助かりました。
お味噌汁は持参したフリーズドライのインスタント。
食べていると、近くに座っていたイスラエルの青年が、なんていう食事なのか聞いてきます。彼はポップコーンポリポリ。
聞くと、ヒマラヤは二度目だとか。一度来て、ヒマラヤが大好きになっちゃったらしいです。

午前2時ベースキャンプを出発。標高差1,200mを約8時間をかけて登ります。
最初は、つづら折りのガレ場の急登が続きます。ガレ場を詰めていくと岩稜帯になり、ヘッデンで細いリッジを照らしながら、慎重に足場を探します。
次第に雪を踏んで登るようになり、夜明け前、クランポンポイントと言われる場所に到着。ここで冬靴に履き替え、アイゼンを装着します。

実はここまで、アイゼンと冬靴はシェルパガイドさんが担ぎ上げてくれました。・・こんなことでよいのだろうか。。などとちょっぴり考えちゃいましたが、ここは「郷に入れば・・・」と考え直して、甘えさせていただきました。・・なにせ、空気薄いので、それでも疲れる。

で、ここから本格的に雪山登山となります。ヒマラヤでの雪山登山の基本スタイルは、フィックスロープをアッセンダーで登る、いわゆるユマーリングです。
かなりの急登でも、ピッケルなどは使用せず、しっかりとステップを切りながら、ひたすらフィックスロープを頼りに登ります。

明け方5時半頃になるとやっと明るくなり始めました。振り返ると、朝陽を浴び始める山々の神々しい姿が視界に飛び込んできます。
お、アマダブラムが輝いてる!みたいな感じ。下方にはイムジャ湖が見えます。

イムジャツェから見えるアマダブラム。輝いていてきれいでした。

標高5,900mを超えるあたりで雪原に出ました。ここらへんから約200mの登りで稜線に出ると、山頂はもうすぐです。
陽が当たり始めると途端に暑くなります。インナーを脱いだりして体温調節しながら、のしのし歩きます。
そして、急登への取付き。ここからまた苦しいユマーリングの連続です。
とにかく稜線までの急登がきつい!

そしてやっとの思いで稜線に這い出て、約200m歩き詰めればイムジャツェ山頂に到着です。
稜線の登りもまたまたきつい!
先行していた、海外の登山者が下りてきます。ちょっと危なっかしいなぁ・・・て思わせる方がけっこう多かったかも。

イムジャツェ登頂!やったー!初めてのヒマラヤピークハント!
嬉しくてシェルパのガイドさんと記念撮影。狭い山頂で固い握手。
目の前にローツェの山群がドーンと迫ってきます。
美しい!・・・登れてよかった!

下山は登ってきたルートをラペルを織り交ぜて。標高差1,200mの登山・・なんだ、塔ノ岳のバカ尾根と同じじゃん、なんて登る前は思ってたけど、ベースキャンプに戻ったときはバテバテ。高所登山の大変さを思い知らされた、初ヒマラヤ登山でした。

アマダブラム

アマダブラムは、サガルマータ国立公園の東南部に位置する標高6,812mの独立峰で、4つの尾根をきれいに伸ばしたその立ち姿がとても美しいお山です。
Ama Dablamとはシェルパのことばで「母の首飾り」という意味らしいです。エベレストを飾るという意味が込められているらしいですが、エベレスト街道のどこから見ても、重なって見えることがないので、よくわかりません。。。でも、とにかくその姿が美しい。街道を歩けばずーっとその姿を見ていることが出来ます。
しあわせ。

イムジャツェを下山したその日の夕方、ベースキャンプをあとにチュクンに戻り、翌朝ディンボチェを通過してパンボチェまでエベレスト街道を下りました。
10月8日、パンボチェのロッジを出発し、谷をひとつ渡ってアマダブラムベースキャンプ(標高4,580m)に向かいました。
快適なキャンプ地!広いし平らだし、景色はいいし!毎日アマダブラムとタブツェ(Taboche 標高6,542m)見えるし。
ここから約10日間の日程でアマダブラムの頂上を目指します。

2日間の停滞ののち、10月14日、高度順応の目的でキャンプ1へ1泊の予定で登りました。
キャンプ1の標高は5,760mほどですが、イムジャツェ登頂とベースキャンプでの休養のおかげで、問題なく一晩過ごすことが出来ました。

翌日ベースキャンプに戻り、2日間停滞。シェルパのコックさんが作ってくれる日本食を堪能しながら休養しました。
約30日間の長い山行で、日本食を食べられたことは本当に助かりました。長い山行も後半になると、ネパール食にはちょっぴり食傷気味。。。
そんな時に、アマダブラムBCの食事担当のシェルパさんが作る日本食は感動ものでした。
例えば日本蕎麦、巻き寿司、天ぷら、朝粥、カレーなどなど。食事の管理は、ヒマラヤ山行ではとても大切です。

10月18日、いよいよアマダブラム登山開始。3泊4日の行程で、まずはキャンプ1に向かいます。
このころやっとモンスーンが終わり、天候が安定期に入りました。

アマダブラムは岩稜のお山です。南西にのびる稜線を詰めていきます。
キャンプ1は5,760mの稜線上、キャンプ2は5,860mの稜線上にあります。C1とC2の標高差はあまりありませんが、岩稜の登攀とトラバースの連続で慎重に登らなければなりません。

とくにキャンプ2直下で、名所のイエロータワーはアッセンダーだけを使用してのクライミングを強いられるので、気合を入れなくてはなりません。
ホールドも足場もあるので、アッセンダーを頼りに、ゆっくりと登ります。
そして最後に少しかぶり気味の岩を乗り越えるとやっとキャンプ2に到着します。

キャンプ2はキャンプ1よりさらに尾根が細く、張れるテント数も限られているので、それぞれの登山隊が融通し合って使用します。
ちょっぴり呼吸が浅くなりますが、出歩くこともできないので、おとなしく休息。明日のアタックに備えます。
それにしてもきれいな山々。いるだけで幸せって思っちゃいます(また言っちゃった)。

10月20日午前2時、キャンプ2を出発してアタック開始。ヘッデンの明かりを頼りに岩稜を慎重に登り、そして渡ります。
キャンプ2からは岩稜に雪が付きはじめますのでアイゼンを装着します。前爪を使うだけのクライミングはありませんが、滑らないようにしっかりと岩や雪に乗ることが必要です。

残念ながらここらか山頂までは写真がありません。暗いのと、寒いのと、何より、自分もシェルパガイド二人も写真を撮ることより登ることが優先です。

岩稜地帯を600mほど登るとキャンプ3(標高6,400m付近)のあるコルに着きます。ここから雪壁の登りが始まります。
雪壁は、山頂までずっと日陰。あたりはやっと明るくなりはじめましたが、この日は風が強く、気温も氷点下20度程度まで下がったようでした。
厳冬期用の手袋をしていましたが、アッセンダーを握る手の指がやたらと痺れ、手袋の中で指抜きをしては温めましたが、なかなか温まらず、シェルパガイドさんが「オラのテムレス使って!」というので交換。こちらのほうが血行が保たれたようでした。

残り400m弱ですが、寒さと疲れで、目の前の雪壁がやたらとバーチカルに見え、登る気持ちが折れそうになりました。
それでもシェルパガイドの励ましと、用意してくれた酸素のおかげで、ゆっくりですが、足を進めることが出来ました。
雪壁は、文字通り「壁」で、ユマーリングも補助というより、ぶら下がらんばかりの頼りようでした。

でも、この雪壁の登りがこの登山のハイライト。
山頂の一点が朝陽に輝き、その一点向かって、幾重にも連なるヒマラヤ襞に挟まれてまっすぐ伸びるルートは、苦しくてもこの先を登るぞ!という思いにさせてくれました。
「こんちくしょー!」と叫んだらシェルパガイドさんが「What?」って言ってたっけ。
一歩を踏み出すのにこんなに時間がかかった登りは初めてです。100m登るのに80分を費やしました。

最後は、先頭を譲ってもらい、9時間を費やして誰もいない頂上にやっと立つことが出来ました。
山頂に立つと、まず目の前に飛び込んでくるのがローツェの山群とエベレストです(下の写真)。強風でしたが、360度の展望は素晴らしく、やはりこの景色は日本のお山の山頂では味わえないものでした。ローツェ、エベレスト、チョーオユー、マカルー。・・・あとはよくわからないけど、とにかく神々しいと思わせる山々の連なり。山頂にとどまる時間は少なかったけど、山頂に立った喜びをシェルパガイドど共有できた瞬間は格別な思いでした。
あきらめないで本当によかった。

名残惜しくても、さっさと下山は、ここでも同じ。
下山はラペルの連続でした。よくもまあこんな急壁をユマーリングだけで登ったもんだ、と感心しながらの懸垂下降でした。
キャンプ2にヘトヘト状態になって戻り、一泊。
翌日もまた神経を使う岩稜の下りです。キャンプ1までは気が抜けない下りが続きます。

4日目、キャンプ1のテントから、自分の荷物をまとめ、ベースキャンプまで下ります。
テント内を、次に使う登山隊のために掃除しておきます。
一晩寝たおかげで元気を取り戻し、無事にベースキャンプまで下山することができました。
呼吸もさすがに慣れてきて、下りはシェルパガイドさんも僕に気遣うこともなくガンガン歩いてくれました。
最後にベースキャンプで記念撮影。3泊4日のアマダブラム登山を無事終えることが出来ました。

その日の晩、シェルパのコックさんが登頂のお祝いのケーキを作ってくれました。鍋とフライパンしかないテントのキッチンで、器用にチョコレートケーキ作ったのには感激です。
ケーキカットし、みんなでケーキとコーヒーを飲んで無事下山のお祝いをした時が一番充実感を味わった瞬間だったかもしれません。
素晴らしい経験をさせてくれたシェルパの皆さんに感謝でいっぱいの一日でした。

あとがき

ヒマラヤのお山は本当に美しい。なんでしょう…削ぎ落された美しさ、とでもいうのでしょうか。山並みを見ていると「神々の・・」というフレーズがよくわかるような気がしてきます。実際、タボチェ(Tobuche)やカンテガ(Kangtega)などの「Holy mountain」もあるし。本当に見ているだけで満足しちゃいます。

でも、同時に思うことがあります。
それは日本のお山の素晴らしさ。何故かって、日本なら2,000m登れば、雪山の絶景が見られるんだもの。山頂にどんだけいても苦しくないし。

(2022年11月26日記 文責:須永)